【あるがままにシンクロコラム】波動と希望とBeatles

波動の渦巻き

この一年ほど、めちゃめちゃ既視感ーデジャヴってものですねーがある瞬間がたくさん。

お決まりの文句「あれ?これ夢でみたー」「この感じ、前もあったー」ってね。

いろんな見解があると思うけど、人生はクリエイティブなものだから、きっとちょっと前に、どこかで「よーし、次こういうのいってみよー」っと創ってた。創った者は「あれ?これ夢でみたー」って無邪気に言ってる私の無意識の部分だろう。

昨今は電車に乗ってて聞こえてくる会話にまで「引き寄せたー」なんてセリフがでてくる。かくいう私も時々使う。最近は使わなくなった。派手さがなくなった。酸素吸ったーっていうのと変わらないって思う。

引き寄せてる者などもちろんいなくて、無意識の部分で一種の波動が渦巻いてて、似たようなのがくっついてきた波動の渦巻き。

すべては希望

ちょっと前に、希望は自然にでてくるものだ、放っておけば勝手に望みがでてくるようにできているってどこかで書いた。放っておけば。放っておくというのは昨日書いたように明け渡すこと、降参すること。

自我が白旗をあげるとき、全部にOKという状態になり、意識と無意識の境目もなくなり、残るは瞬間瞬間の希望だけになる。希望だなんて、大げさなことをつい思い浮かべるかもしれないけど、どれもこれも希望でできている。起きるも寝るも食べるも、好きも嫌いもすべて希望でできている。

意識と無意識の境目がないってことは…ソレが起こる

意識と無意識の境目がないというのは、つまり意識では嫌だ―!って思ってるけど、無意識ではソレよー!って嫌なことを指していたりするのが合体するため、意識は氷山の一角、無意識は残り全てどころか下は全部お隣さんとも繋がっている、なんて状態だから、それはもう、嫌だ―もソレもへったくれもない。

ソレは嫌だと、ソレだよ、の共通項「ソレ」が現れる。希望が目の前に現れる。希望したとおりになる。

Let it be 放っておこう

When I find my self in time of trouble,Mother Mary comes to me

Speaking words of wisdom, let it be.

ビートルズは誰が創ったんだろう。

誰でもない、そこに希望があっただけなんだろう。

(あれ、あらためてBeatlesっていい名前。Beatは音であり、波だね)