あるがままの自分でいい理由

あるがままの自分でいい理由

私たちはみんなで”1つ”を生きている。

1人で生きているのではなくて、みんなで大きな”1つの生命”を生きている。

そうイメージしたときに、私はなんだか愉快な気分になりました。何かを目指して人生をどうにかしなければ、と思っていたけど、誰がゴールにいて、誰がまだゴールからは程遠いとか、そんな競争みたいなことは無いのです。

みんなでお神輿を担いでわっしょいわっしょい進んでるようなものです。しかも進んでるっていっても、一直線の道を向かっているのではなく、もともとお神輿があった神社をでて、町内をくるくる回って、また元いた神社に還るという行事を延々とやっているわけです。

有機体お神輿かつぎ。何十兆個の細胞がみんなで1つの身体を生きているのと同じですね。

で、その神輿、というか、小さな私たち1人、1人が集積した大きな”たった1つ”ってどこにあるのか?それを認識することはできません。ひとつの細胞が身体全体をみることが出来ないように。神輿を担いでいるときに神輿全体を見ることができないように。

とにかく言えるのは、安心してていいってことなんです。なにがあっても。

いつのまにか人間が勝手に決めてしまった基準に翻弄される時があります。足は長い方がよくて、テストはいい点とるのがいいとか、美人がよくて、デブはだめとか、メジャーデビューはよくて、インディーズはまだまだとか、これが出来る人がよくて、これが出来ないのはだめだとか。上だとか、下だとか。だから良いのを目指せ、キレイを目指せ、上を目指せって無理して頑張っちゃう。秩序を保つには基準が必要っていうけど、宇宙の秩序はほおっておく方が保たれます。下手に頭で考えて頑張るから、ややこしいことになる。基準は必要ないのだと思います。

生まれた時からいろいろあった。だからこそ立派な人生目指すんだ、と頑張ろうとしているかもしれないけど、いや、なんだかんだで成るにまかせてここまできたんだと思っていい。

今の自分そのまんまでいい。やりたいようにやろう、その時、自分がふとイイじゃない!って思ったことに従っていけばいい。あるがままでいい。

なぜなら、私が美人じゃなくても、私の分まで美人してくれてる人がいるし、逆にその美人が音痴だったりすれば、私がその人の分まで少しばかり上手く歌えたりするかもしれない。誰かは私の分も生きてるし、私は誰かの分も生きている。

もし得意なことがあれば堂々と得意なことやっていい。下手なこと苦手なことはやんなくていい。あるがままでいい。なぜなら

みんなで”1つ”の生命エネルギー、みんなで”1つ”を生きているから。

いつでも安心していようね。