あなたの思い込みを外すお話ーvol.3 目標って必要なのか?【interviewくさか先生教えて!】

あなたの思い込みを外すお話ーvol.3 夢や目標って必要なのか?

前回までのお話を読んでみてね vol.1 万物は氣から生まれる vol.2 人はただ存在するだけで満ち足りている

人は何にでも目的を与えたくなる

在るがままで生きる、『持ち前』(←前回の記事を読んでね)を与えて生きるーとにかくBEな人ですね、くさか先生は。今回はどんな話が出てくるでしょう?!応答願いマス

ーコチラ、くさかです。僕もね、生きる目的について考えていたこともありました。

老子の『道教』から得た考えでいくとね、目的なんてないんですよ。宇宙が生まれたことに目的はない。そこを飛んでるハエも目的があるのかと言うとないですし、人間も同じです。その上で、今やることって何だろうかと考えた時、同じ時代に生きている周りの人たちに、満足した幸せな自分がただ与えて生きることだと思います。

原始人は結構これに近かったと思うんですよ。原始人は自分が生きるのに必要以上のものを手に入れたときは、ほかの人に分け合っていました。それが自然にできていたのが原始時代です。しかし今の時代は、何にでも目的を与えてしまう時代です。必要以上のものを手に入れたら、それに目的を与えて財産として蓄えようとする。人っていうのは何かしら目的を与えたくなるもの。何にでも目的を与えたくなるといいますかね。

例えば滝を見た人は、この滝は何のために作られたのだろうかと考える。本当は地形の変動によって自然にただ出来たものに対して、これはきっと神様がこういう理由で創ったんだとストーリーをつけてしまう。そうなると自分の人生にも何か生きる目的があるのではないかと考えてしまう。さらに、現代では目的を持って生み出された人工物が増えています。世の中に人工物が増えれば増えるほど、じゃあ自分の目的は何なのだろうかと考えてしまうんです。本当は目的なんてないのに。

そうして、生きる目的を探し始めます。すると、何が何でも目的を達成したいという欲求が増えてきます。 満足できない状態が広がっていくわけですよ。自分も目的を持ったもにになりたいと考えてしまう。この先はもっと人工物が増えるでしょうから、錯覚する人は増えると思います。

あなたの将来の夢は何ですか?と訊かれると、自分の夢は何だろうと考えてしまう。夢を叶えるためには、あれが足りない、これが足りないと、足りないものを探し始める。そういう教育を受けながら普通に育っていると、どんどん足りない方に流れていく、満足できない方に流れていく……。

あ、いけない、先生が遠い目をしている……、ハロハロ、こちら3wBEe。くさか先生、ちょっと!

「なりたい自分」という目標を持つことは豊かさに繋がっていくのか?

今のお話について質問です。「夢を持つのはいいことだ、子供たちに夢をもてって言いますが、これはどうなのでしょう。(遠いところから帰ってきてください)応答願いマス!!

ーコチラ、くさかです。おっと失礼。たしかにこれまで人類が築きあげた文明は、夢目標を持ち、周りに良い影響を与えあって、どんどん繋がっていこう、そのために売上目標を持って、社会を豊かしていきましょう、という考えがあったからここまで発展してきました。

しかし、僕は子供が「何々になりたいです」と言うのは、果たして本当に社会の豊かさに繋がっていくのかなと疑問を抱いています。子供は大人から”良い”と言うものを見せられて、その“良い”ものになりたいと言う。例えば大人に「コックさんはいいよ」と言われた子供が「コックさんになりたい」とか言ったとしますよ。

でも他をみて持つ夢っていうのは結局足りないから欲しいという方の欲求に繋がってしまいます。その子供がコックになりましたって言ったら今度は次の欲求が生まれるんですよ。料理長になりたいですとか、もっと安定した働き方をしたいとかね。ずっと満足できないんですよ。

逆なんですよ。ママの料理の手伝いが楽しくて、どんどん作ってたら、コックになってました。ダンスをするのが楽しくて、どんどん踊ってたらダンサーになってました!みんながそうであれば、争いなんて起きないんです。

そもそもパイロットなんて必要ないんです。羽もない人間が空を飛ばなくていいですし、エラで呼吸できないのに海に出なくていいんです。ほんとに、人間は。欲求の塊です。足りてない部分を補おうとする塊が全てを作っています。まったく、、ドウゾ!!

存在そのものが仕事になる!お金は存在に対して発生する

ちょ、ちょっと先生、じゃあ北海道から九州だと歩いていけるけど、海を渡れませんよね。飛行機とか船がなければ。その辺はどうなんですか。ドウゾ!

行かなくていいんじゃないですか(笑)。海を渡って遠くに行きたいと言う動物は人間くらいしかいないんですよ。渡り鳥だって、生きるためにしょうがなく空を飛んでいるんです。そんなことをしなくても生きていける人間は遠くに行かなくてもいいんです。もしも東京がすごい寒波に見舞われて住めなくなったら、生きるためにしょうがなく沖縄に行ったりするかもしれませんけど。ないものを欲しがるのは「氣持ちの悪い」連鎖を生みます。現代、飛行機ができたり船ができたりして人間は「氣持ちいい」かもしれませんが、自然は破壊されていって「氣持ち悪い」と思っているかもしれません。

ま、しかし、『持ち前』に従って生きていくと楽しいですよね。ただ在るがままの『持ち前』に従って生きたら、結果的にそれが仕事となるわけですよね。先ほどの踊りが好きで踊っていたらダンサーになってたっていうやつです。

あるがままに好きな仕事をすることによって発生するのがお金で、そもそも仕事とは存在そのものだ、という式を解けば、お金は在るがままの存在に対して発生するものとも言えますよね。

つまり在るがままの存在でお金を稼ぐということ。僕たちは何が自分の在るがままなのか、それに気がつかないといけません。

死は生へと続く循環の扉

荘子の最愛の妻が死ぬという話があるんです。荘子は妻を亡くしたその日、太鼓を叩いて歌ったいたというんです。周りの人が何故、こんな時に楽しそうに太鼓など叩くのかと尋ねたら、

「妻の死を嘆く必要はない、生まれたものが死ぬと言うのは自然の理だし、彼女は『持ち前』に従ったまで。なぜ嘆き悲しんで自分がそれを止めることができようか。どうして人は「持ち前」に従うものを素直に見送れないのだろうか。 それは、亡くなった人の「持ち前」を認めきれていないからだ。人が人を所有しようとするから失うという考えになるのだと説いたそうです。

この自然界の中には自分のものはないんだっていうことがいかに落とし込めているかが大事なんです。生と死はひとつの循環。死ぬことは朝から夜になるようなものです。そして夜は必ず朝になります。だから死ぬということは「良かった、おめでとう」って言えるくらい自然なことなんです。それは太陽を見て「氣持ちいい」と思うようなものです。もちろん、会えなくなる寂しさはあるでしょう。卒業式は寂しいけどそれもお祝いです。

儒教の礼儀では死は”悲しまなければいけない”。喪に服するのも儒教の考えです。黒い服をきて”慎まなければいけない”という礼儀をお葬式という文化にしていったんです。しかし悲しいことと、”悲しまなければいけない”ことは別です。

死への思い込みを外したらどう感じるでしょう。個で見ると死んだら形が無くなりますが、宇宙全体の氣で見るとどんどん拡大しているんですよ。循環して絶え間なく動いているので無くなるものはありません。

そして、今をどうやって生きようかと考えると孤独はないです。すべてはひとつなんです。

さて、3回に渡って話してきましたが、いかがでしたか?僕が生まれてからずっと考えてきたことがこれだったんです。そろそろレシーバーを置きますね。ドウゾ!

くさか先生、ありがとうございました!

・存在が仕事

・死は生へと続く循環の扉

・すべてはひとつ

いかがでしたか?みなさん。くさか先生の置き土産があります。ちょっと難しいかもしれないけど、次の一節も読んでみてくださいネ。

荘子の万物斉同の哲学・・・

※簡単解説
大きいということは同時に小さいことであり、長いものは同時に短く、善いことは見方を変えると悪いことであり、遠くに行くことは近くに来るということであり、生まれることは死ぬことである。

人々はこの現実世界のなかに、大小・長短・善悪・美醜・生死などといった、さまざまな対立差別のすがたを認めている。そして、人々はそれを現実の真のすがただと信じている。しかしそれは、人間のかってな認識判断であって、客観世界の真のすがたではない。

(例えば宇宙人が宇宙から地球をみたときに、その中で生きてる人たちはいろんな対立の中に生き、差別をして正義だ悪だといっている。しかしこれは地球の中で行なわれているちっぽけな争いでしかない。宇宙規模で見たらそれは客観的な真の姿ではない。)

大きなものをみても、さらに大きなものをみるとさきほどのものは小さくみえる。美人の美しさは鳥や魚には通用しない。善だと思っていることも他からしたら悪にみえる。すべての対立差別は一時的で相対的なかたちにすぎない。それなのに、人はそれを確実なものと考えて、その差別のすがたにとらわれ、そのために無用の苦しみを繰り返している。

(仏教ではこの無用の苦しみから解き放たれることを、成仏とよびました)

われわれが、いかに大きな違い、きびしい対立と見えることでも、それらの間に「道は通じて一つ」なのだ。

(宇宙のすべてはひとつだということ)

偏見を去り、執着を棄て、さらには人間という立場をも放ち棄て、この世界の外からふりかえるとき、もはや生死の区別さえもが消えるだろう。相対的な価値を追求することをやめて、自然の道理に身をまかせていくことこそ荘子がいう因循主義であった。

(因循主義=大きなものに身を任せましょう。自然の法則に身を任せましょうということ)

日下先生のお話、もっと聴きたい方はこちらへもどうぞ!
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