あなたの思い込みを外すお話ーvol.2 人はただ存在するだけで満ち足りている【interviewくさか先生教えて!】

あなたの思い込みを外すお話ーvol.2 人はただ存在するだけで満ち足りている

※前回のお話をお読みくださいネvol.1万物は氣から生まれる

宇宙の法則…満たされて氣持ちがいい、足りなくて氣持ちがわるい???

くさか先生のお話はさすが氣の流れがいい。留まるところを知りませんね。さてさて、応答願いマス!ドウゾ!

ーコチラ、くさかです。前回の氣の話をご理解いただいて嬉しく思います。今日は欲望について。まず以下をご覧ください。

「気持ちがいい」とは・・・満たされている人が周りにいい氣を与える。与えられた人はいい氣を受けとりいい氣持ちになって、また誰かに与える……満たされたから始まる循環のことを「氣持ちがいい」と言います。

「気持ちがわるい」とは・・・足りていない、満たされていないと感じて他から奪うことですね。自分には何もないから人から補ってもらおうと考えてしまう。決して満たされることはありません。もっと、もっと頂戴、が始まる……足りないから始まる循環のことを「氣持ちがわるい」と言います。

みなさんはどんな欲求をお持ちですか?満たされていますか?満たされてないと思っていますか?

「正義」や「悪」というのは、本来はないものです。「正義」は欲求をセーブしている状態。「俺はセーブしてるんだから、お前もちゃんとやれよな!」といって自分よりも「悪い者」を創り出すんです。東洋思想には正義も悪もない。ヒーローは戦ってても仙人は山奥暮らしている。分かれる原因は欲求があるから。自分の行き過ぎた欲求に負けただけ。正義の人がたまたまセーブしていただけ。

話が混乱しないように気をつけて。だからって欲求がいけないわけではないんです。欲求は自然なもの。生き物には死にたくないっていう欲求があります。人間には生きたい生きたいという欲求、ただこれがあるだけです。要は、“死なないように生きている”。結局お金が欲しいのも、死にたくないにつながってくるでしょう?安心してたいんですね。

でも安心してください。生は平等にあります。たとえ100歳まで生きても、50歳で死んでも、それがその人の寿命です。それがその人の正常なんです。その人それぞれに与えられた寿命以上に、もっと欲しいもっと欲しいっていうのは、満たされないものを満たそうとして何かを奪うことになります。それは「気持ち悪い」ことなんです。ここまでいいですか、ドウゾ!

欲求=我がまま=我のまま…あるがまま!それは、個性

はぁあああ~。壮大なお話に目が回りそうです。「氣持ちがいい」「氣持ちがわるい」これは昨今の引き寄せの法則の極意ではないですか。宇宙の法則は法則なんですね。ところで先生、欲求についての質問してもいいですか?

足りないから与えられたい、欲しい!もっと生きたい!寿命以上に生きたいよ~ん、が欲求ならば、与えたい!というの欲求ですよね。「欲求」という同じ言葉を使うからややこしいけど、根っこは全く逆のものですね。応答願いマス、ドウゾ!

ーコチラ、くさかです。確かに、どちらも欲求ですね。

人は生きたいという欲求を持つといいましたが、同時に自分の持っているものを与えたいという欲求も持っています。この欲求は道徳心ともいえます。例えば、人類はお猿の頃から、血縁者を保護したくなる、危険を教えたくなるという意識を本能的に持っているそうです。家族を守ったら、自分の遺伝子を増やせますからね。このように自分の遺伝子を増やすための欲求が、現代では道徳心という言葉に置き換わって残っています。

与えられたい欲求というのも本能的に持っています。まさに赤ちゃんは与えられたい欲求の塊です。赤ちゃんは受けとるだけですから。大人になっても赤ちゃん的な要素を残している人はたくさんいますね。

それはワガママな姿かもしれません。しかし、我がまま=我のまま=あるがまま。そして、あるがままは個性とも言えます。野球一家で育った少年が、「自分には野球しかないんだ」といって野球を始めたら、それはそれであるがまま。ほんとうは学者になりたいのに、親に野球をしなさいと言われる場合、これは親のわがまま、あるがままなんです。この違いわかりますか?!ドウゾ。

な、なるほど。わかります。すでに在る、足りないのではなく、在る状態からの、我がまま、在るがままはOKということですね!引き続き、ドウゾ!

あるがままの姿 老子が唱えた『持ち前』

あるがままの個性という話がでたところで、東洋思想を唱えた老子の話をしましょう。東洋思想には、主に『道教』と『儒教』という2つの教えがあります。道教の始祖とされるのが、老子・荘子、儒教の始祖とされるのは、孔子・孟子などです。実はこの2つは根本的な物の見方に違いがあるんです。良い悪いではないですよ。

道教の老子・荘子は「持ち前」という言葉を使います。「持ち前」には生命とかって意味があるんですね。

持ち前とは、持って生まれた姿のことです。

スポーツ解説などで「この選手は持ち前の粘り強さで…」なんて言い回しありますよね。あれです。人は持ち前にしたがって、自然と流れるように生きていけば疲れることはないんです。赤ちゃんは持ち前にしたがってるから、一日中泣いても声が枯れないし、一日中こぶしを握りしめていても手がこわばることはないんです。

老子や荘子は、とにかく持ち前にしたがって生きていきなさいよ、あなたのしたいことに従って生きていきなさいよって言っているんです。ただ、求めすぎてはいけません。食べなきゃ死ぬ、だから食べる、満腹になるまで求めてはいけない、それで終わり。なんていうシンプルなことなんです。

「持ち前」を大切にする『道教』対して、『儒教』はどちらかというと俗世的な教えです。人の中で上手に生きていくためには仁義や忠義を尽くさねばなりません、なんていうものです。儒教が馬を飼いならして使いましょう、ならば、道教は馬は自然の中で駆けまわるのが持ち前だ、というような考えなんです。

僕はこの自由奔放な老子の『道教』にいたく感銘を受けたのですよ!わかっていただけますか!? ドウゾ!

老子の『道教』は宇宙の法則そのもの

くさか先生がめずらしく興奮気味なのがわかります。なんだか核心にせまってきましたね!『道教』、おそるべし、まさに私たち3wBEeが一番大切に思う『BE』じゃないですか!あるがままで在れ!これはまさかの、、、ド、ドウゾ!

そうです!『道教』と言うだけあって、道に従っていきましょうよ、「道」という宇宙の大きな流れに身をまかせて生きましょうよ、と教えてるんです。しかし、道教の理想である仙人みたいにはならなくても、人と関わりながらまいりましょうよ、というのが老子の教えなんです。宇宙の法則に従っていきましょう。生まれたものは死ぬ。ぜんぶ循環しているから、身体も精神もそれに逆らう必要はないんです。

ほら、すべてのものはこの図で表せると言われています。

(満を持して、でました!タオ)

元々この世には足りていないものなどないんです。それを理解して、自分が満足した状態であることを自覚したら、あとは与えることしかなくなります。これを意識しておくと、自然と求めすぎなくなります。たとえ庭の木を育てて成長させても、それを自分のものだとは思わないことです。それは元々自然のものです。自分の身体も自分のものではありません。たとえ命が短かったとしても、それはそれで自然なことなのです。

宇宙の循環の中で、今、生きている人間はすでに全てを与えられている幸せな状態にあるんです。

本来の欲求は『持ち前』として表れます。その『持ち前』は自分の持っているものを人に与えることです。だって、すでに自然から与えられているのですからね、奪う必要も補う必要もないわけです。と、ここで最初に言いました「氣持ちがいい」とは?を思い出してくださいね。

「気持ちがいい」とは・・・満たされている人が周りにいい氣を与える。与えられた人はいい氣を受けとりいい氣持ちになって、また誰かに与える……満たされたから始まる循環のことを「氣持ちがいい」と言います。

ご理解いただけましたか?ドウゾ!

了解しました!ここまでの話をまとめるとこうですね。

・欲求には与えられたいという欲求と与えたい欲求がある。欲求が行き過ぎたり、抑制しすぎたりした時に、人は分かれて戦いだす。

・欲求=我がまま=あるがまま あるがままの赤ちゃんの欲求は自然であり、それこそが道教の理想とする仙人の姿。

・老子が唱えた『道教』は宇宙の法則。在るがまま、流れにのって生きればいいいのだと説いている。その道は、すでにすべてを与えられている幸せの道。

・在るがままの姿を老子は『持ち前』と言った。そして人は自分の『持ち前』を他に与えたいと思うもの。それは与えあう循環を生む。その状態を「氣持ちがいい」と言う!

ところで先生、”道に従って生きる”、”持ち前で流れにのる”って素敵なことです。でも目的を持って生きるってどうなんでしょう?ドウゾ!

ーコチラ、くさかです。僕もね生きる目的について考えていたことがありました。しかしこの考えでいくと、生きる目的は別にないんですよ。宇宙の法則に目的なんかないですし、宇宙が生まれたことにも目的はない。そこを飛んでるハエとか、そこに生えている雑草に目的があるのかと言うとないですし人間も同じです。次回はそのあたりを詳しくお話してみますね。ドウゾ!

3wBEe、了解しました!楽しみです。

…to be continued.

続きはこちら vol.3 目標って必要なのか?