大きくなったら何になる?【Today’s BEe Life】

出来事の記憶って曖昧だけど…

人の記憶はけっこう曖昧です。例えば夫婦や家族間で昔こんなことがあった、あんなことがあったなんて話をしていても、あらあなたそれ違うわよ~、とか、え?そうだったっけ?なんて勘違いは多々あるものです。だけどなにせひとりひとりの頭の中にしまわれているものだから、違うわよなんて言われても、どっちが本当だかなんて調べようがない。まあ、しょうがないので、自分に都合のよいように、思い出した時とっても気持ちのよいように並べて置くのが一番です。さて、人と共有した出来事はすり合わせて思い出話に花を咲かせることもできますが、人に話すまでもない、いや、そんな機会もない、自分ひとりで持っている記憶というのもあります。あの頃、こんなことを考えていたという脳内記憶です。私にも、小さい頃にこんなことを考えていたと鮮明に感覚までをも覚えていることがあります。どちらかというと、脳内記憶の方がたくさん思い出せるような気がします。

可笑しな子供

私はよく母のお伴で入った先々で目にした社会の仕組みについて考えていました。例えばある日、母と一緒に銀行へ行きました。周りをじっと観ていたけれど、みんなが何をしているのかよく解ることができません。私の理解を超えていて銀行というところはとても難しそうだと思いました。大人になって一人でここへきても、私は母のように上手くできるだろうかと不安になるのです。そしてすぐさま解決策を思いつきました。銀行で働く人になればいいのだ!と。私は大人になったら銀行で働く人になろうと思いました。次に母が化粧品を買いに行ったのだと思います。デパートのカウンターだったのでしょう。母はパタパタとお店の人にお化粧をしてもらっています。お化粧というのはなんだかやり方が難しそうだと思ったのです。大人になってひとりでお化粧ができるのだろうかと不安になります。またすぐさま解決策を思いつきました。お化粧品を売るお店の人になればいいのだと。私は大人になったらお化粧品屋さんになろうと思いました。そんな調子で病院へ行けば看護婦さんに、市役所へいけば市役所の人に、どんどん大人になったらなろうと思う職業が増えるわけです。そのうち私は考えました。どうやってこんなにたくさんの人になれるというのだろう。どれかを選んで、他はなんとか別の方法で解決するしかないなと。身一つしかない自分をひどく残念に思ったのでした。

個性は宿る

まあ、小さな私にとって社会という大きなシステムはよっぽど難しいものに観えたのでしょうね。今でも銀行の窓口に行くたびに、スルスル手続きできている大人の自分をどこかで、ほんとに小さく、どこか遠いところで、えっへん!なんて思っているふしがあるように思うんです。ーどぉお?お母さんみたいに上手くやれてるでしょ?私。ー
まあ、今話したようなことはほんの一片で、他にも変なことをたくさん考えていたように思います。小さい頃に何を考えていたのか。そんなものを幾つも探っていくと意外な共通項が見つかるかもしれません。私の場合はいつも想像をしていたのですね。大人になって銀行で手続きをしているところ、お化粧をしているところ、などといった様々なヴィジュアルを思い浮かべてみては、きっと難しそうに首をかしげていたのでしょう。空想遊びは子供が得意とするところではありますが、もしかすると、私ではない他の子どもはどの場所に行っても音を聴いていたかもしれないし、感触を感じていたかもしれません。そう思うと小さい頃に興味を持って目に映したこと、考えていたこと、感じたこと、聴こえたことには、ほかならぬ人の個性が宿っているような気がします。時には思い出してみてはいかがでしょう。